ヘンデルのカンタータ  歌詞の意味を考える

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zoom RSS 「焼けつくような渇きに苦しんで」

<<   作成日時 : 2016/10/31 16:30   >>

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コンティヌオ・カンタータで、三澤寿喜さんの「ヘンデル」によればソプラノ用ということですが、音源がありません。
自筆譜がなくなってしまっているので、正確な成立年代はわからないようですが、ルスポリ侯爵邸に1709年8月31日付けで筆写されたものが伝わっているそうです。作詞者は不明。

歌詞の内容は以下のようなものです。

歌詞大意
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この歌詞では、愛する人への思いがかなえられず苦しむのを、喉のかわきに譬えています。日本語の「渇望」ということばどおりです。
だから主人公も涼しげな泉を頭に思い浮かべてしまうのですがそれも一瞬のことで、泉の「甘く優しい慰めはもうない」すなわち恋人は近くにいなく、遠くへ去ってしまったという現実に引き戻されます。その結果、強い渇きのような欲求(遠く離れている恋人がそばにいてほしい、という欲求)を覚えるようになるというのです。

「遠く離れている」というのは、必ずしも「物理的に離れている」ということだけではないですね。死別ということも考えられます。
カンタータの歌詞に「lontananza」や「lontano」などの言葉はよく使われます。単に「離れている」だけの意味とは思えないケースも。
このあたりは以前取り上げた作品ででも考察しました。こちらなど。
第3曲レチタティーヴォの最後の2行に「遠く離れているのに近くにいると信じてしまう悲しみ」とあります。身近にいた人がいなくなって「ちょっと近くまで外出しているのだ」と一瞬は思ってもすぐに、「いや、もう戻らないのだ」と気づく悲しみというのは辛いものでしょう。

同じレチタティーヴォの10行目に「Tantalo(英語ではTantalus)」という名前がでてきますが、これはギリシャ神話の登場人物の一人。研究社の「ライトハウス英和辞典」には、
「Tantalus:ゼウスの息子で、神々の秘密を漏らしたために地獄の池に落とされ、あごまで水につかりながら、水を飲もうとすると水は退き、頭上の果実を取ろうとするとそれも退くという焦燥の苦しみを味わわされた」
とあります。ゼウスはジュピターのことですが、タンタロスがジュピターの息子であるかどうかは異論もあるようで、(ウィキペディアなど)よくわかりません。

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上の絵はイタリアの画家 Gioacchino Assereto(1600-1649)の作品「Tantalus」。
喉が渇いていて頭のすぐ上の果物があるのに、取ることができないというのは辛いし、焦るでしょう。
歌詞の主人公は、あのタンタロスが渇きを癒したいと切望するよりも、もっと強く「あの人」が傍にいることを望んでいる、と言っています。

なお、英語のTantalusから派生した単語として「tantalize」があります。意味は「みせびらかして・・・をじらす、じらして苦しめる」等です。

ところで、この悲しい歌を歌う主人公と「あの人」の性別は、いずれも歌詞を読む限りではわからないのですね。主人公が男性で「あの人」が女性かもしれないし、逆に主人公が女性、「あの人」が男性であるとも受け取れるわけです。
下に挙げた参考資料の著者・ハリス女史に至っては「同性に向けた感情と解釈できる余地がある」とも述べているのです。そうだとすると、主人公と「あの人」の性別組み合わせは四通り考えられることになりますが、いかがでしょうか。



参考資料
書籍
1.ELLEN T. HARRIS「Handel as Orpheus」HARVARD UNIV. PRESS(2001)

2.三澤寿喜「ヘンデル」音楽之友社(2007)

3.竹林滋 他編「ライトハウス英和辞典 第4版」研究社(2002)

4.ブルフィンチ作(野上弥生子訳)「ギリシア・ローマ神話」岩波文庫(2011 53刷)

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