ヘンデルのカンタータ  歌詞の意味を考える

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zoom RSS 「本当に沢山ある苦しみ」

<<   作成日時 : 2016/11/16 17:11   >>

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コンティヌオ・カンタータですが、いつも参照している三澤寿喜さんの著作「ヘンデル」によればソプラノ用ということですが、音源はありません。
1706年にフィレンツェかヴェネツィアで作曲、とされています。すなわちヘンデルのイタリア時代で最初期の作品のうちのひとつ。

この作品の歌詞のテーマは、前回の「焼けつくような渇きに苦しんで」と同じで、<別離>というか<別れ別れ>というか、そういう内容のものです。
四つの楽章(レチタティーヴォ→アリア→レチタティーヴォ→アリア)すべてで歌詞に「lontananza(別離)」と言う言葉が使われています。

原語歌詞とその大意は以下のとおり。


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第1曲レチタティーヴォにある「il cieco Nume」は「無分別な神」すなわちキューピッドの別名です。彼はあとさきを考えることなく、めったやたらに愛の矢を射るので、やられた方は大迷惑、ときには「アポロとダフネ」のエピソードにあるような大事件も引き起こしてしまいます。
ciecoは「目が見えない」という意味もあるので、目隠しして空を飛んでいるところを描いた絵画もあります。ボッティチェッリ作の「La Primavera」など。

歌詞の主人公は、思いを寄せる女性(la mia bella 名は不詳)に戻ってきてくれ、と呼びかけていますが、それがまた相手の都合をまったく考えない身勝手なものです。自分のためになんでも放ったらかしにして帰ってこい、などと言っていますね。
どうも主人公は、他人の事情を考慮することができない、精神的に未熟な人物のようです。もしかするとローティーンくらいの、色気の出始めたガキなのかもしれません。
こんな主人公が幼なじみである年長のお姉さんに、ひとりで勝手に恋心をいだいてしまっていて、お姉さんはそんなこととは夢にも考えてはいない、といった状況だとすると、これはつじつまが合います。

このシチュエーションを現代に当てはめてみると、
<小さいころから遊んでもらっていた、隣家のお姉さんとか近所に住んでいる年上の従姉、このような人に恋心を抱いてしまった。お姉さんの方では主人公を子供と思って、適当にあしらっていた。彼女が大学を卒業してアメリカへ留学してしまったり、就職して遠隔地へ赴任してしまったりしたことが主人公は受け入れられないでいてギャーギャーさわいでいる>
と、まあこんな感じですかね。

そう思って歌詞をもう一度眺めてみると、第2曲のアリアで「ふしだらな」などと言っていますが、これは単に用のあった男性と並んで歩いているだけだったかもしれないし、「(誰かに)優しく話している」と嫉妬しているのも事務的な話にすぎなかった可能性も大有り、と思えてきます。
終曲アリアでの「悲しみがだんだん荒々しくなって」に至ってはストーカー予備軍の誕生か、と考え込んでしまいますね。

下の絵は、オランダの画家 Karel DUJARDIN(1622-1678)の作品「Woman Milking a Red Cow」。
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乳しぼりをしている女性から「用ができて明日から遠くへ行かなくてはならないの、しばらく帰って来られないわ」などと言われた少年が「ええ、そんなー・・・」と、拗ねているようにも見えます。





参考資料
書籍
1.ELLEN T. HARRIS「Handel as Orpheus」HARVARD UNIV. PRESS(2001)

2.三澤寿喜「ヘンデル」音楽之友社(2007)







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