ヘンデルのカンタータ  歌詞の意味を考える

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zoom RSS 「わが眼よ、お前たちは何をしでかした?」

<<   作成日時 : 2013/02/14 20:23   >>

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今回はソプラノ用のコンティヌオ・カンタータです。

「わが眼よ、お前たちは何をしでかした?」(Occhi miei, che faceste?)HWV146

作品はレチタティーヴォ→アリア→レチタティーヴォ→アリアの構成で、コンティヌオ・カンタータとしてはほぼ標準的なサイズ。
1707年にローマで作曲されました。作詞者は不明ですが、タイトル(インチピト)は14世紀の詩人ペトラルカの作品から拝借しているのだそうです。
演奏時間は10分程度。
第1曲のレチタティーヴォで、1行目と11行目はアリオーソ風に歌われます。

歌詞の大意は次のようなもの。

<Recitativo>んんんんんんんんんんんんんn<レチタティーヴォ>
Occhi miei, che faceste?んんんんんんんんんわが眼よ、お前たちは何をしでかした?
Nel contemplar curiosiんんんんんんんんんんかわいいフィッレの眼から出ている
quel vivo fuocco che dalle pupilleんんんんん生き生きとした光を
vibra la vaga Fille,んんんんんんんんんんんんn物欲しそうに期待して
il cuor tradiste, che ogni sua difesa,んんんんお前たちはこの心を裏切った、心の備えも、
ogni sua speme in voi riposto avea.んんんんn心の望みもみなお前たちに頼っていたのに。
Da quell'ora pungenti e velenosi a ferirloんnその時から、鋭く危険な矢が心を射抜こうと
per voi passaro I dardi.んんんんんんんんんんnお前たちを通して飛んでくるようになった。
E nel fatale incontro di due sguardiんんんんn二つの視線の運命的な出会いのなかで、
e libertade e vita al cuor toglieste.んんんんnお前たちはこの心の自由も命も奪ったのだ。
Occhi miei, che faceste?んんんんんんんんんわが眼よ、お前たちは何をしでかした?

<Aria>んんんんんんんんんんんんんんんんn<アリア>
Ve lo dissi, e nol credeste:んんんんんんんんお前たちに教えたけど信じなかった、
Che negli occhi di costei,んんんんんんんんn彼女の瞳の中に
solo inteso a danni miei,んんんんんんんんんnただ私を恋の虜にするだけの意図で
s'ascondeva il Dio d'amor.んんんんんんんんnキューピッドが潜んでいるということを。
 Troppo tardi v'accorgesteんんんんんんんんんお前たちは気づくのが遅すぎた、
 ch'il mirar que'lusinghieriんんんんんんんんんnこんな誘うような
 occhi neriんんんんんんんんんんんんんんんんn黒い瞳を見つめることは
 gran periglio era del cor.んんんんんんんんんん心にとって恐ろしい危険であることを。
Ve lo dissi・・・(DA CAPO)んんんんんんんんnお前たちに・・・(ダ・カーポ)

<Recitativo>んんんんんんんんんんんんんn<レチタティーヴォ>
Il misero innocenteんんんんんんんんんんんnこの哀れな心は
d'un delitto non suoんんんんんんんんんんん自分の罪ではないのに
la pena e il danno sente.んんんんんんんんん苦しみと痛みを受けている。
Del suo grave dolor voi siete rei.んんんんんnその大変な悲しみはお前たちの責任だ。
Che faceste, occhi miei?んんんんんんんんん何ということをしてくれた、わが眼よ?

<Aria>んんんんんんんんんんんんんんんんn<アリア>
Troppo caro costa al core,んんんんんんんんnこの心にとってあまりにも高くつく、
quel piacereche prendesteんんんんんんんんn情熱のかたまりのような彼女の眼から
da quegli occhi tutti ardor.んんんんんんんんn喜びをもらうことは。
 E sospira, langue e more,んんんんんんんんんnその喜びが陰り、弱り、死ぬ時、
 quando soli voi dovresteんんんんんんんんんんその時はお前たちだけで
 sentir tutto il suo dolor.んんんんんんんんんん苦しみをみんな背負わなければならないぞ。
Troppo caro・・・(DA CAPO)んんんんんんんnこの心にとって・・・(ダ・カーポ)


歌詞は自分の眼を擬人化して語りかける体裁になっています。これはよくある手法ですが、この詩では「(自分の)心」も第三者として配置しているところがややめずらしい。

自分の一部を擬人化してそれに語りかけるような歌詞は、主人公はある意味自身を客観視しているので、気持に余裕があるように見受けられることが多いです。
しかし、この歌詞の主人公にそんなものはありません。真剣に思いつめている様子が伝わってきます。しかもそれは、初め心配や危惧だったけれども、次第に恐れや怒りに変わってきているようです。最後には、自分で責任とれよ、みたいなことも言っています。まあ、自分で自分のしたことに恐れの気持を感じたり、怒ったりしているわけですが。

このような内容を反映して曲調も明るいものではありません。二つあるアリアはいずれも短調で陰りがあります。歌詞と音楽の雰囲気がよく合っているので、主人公の気持はよくわかるような気がします。

第1曲レチタティーヴォ4行目の、かわいい女性Fille(日本語の表現では2行目)は、「Filli」と表記される場合もありますが、ここでは3行目のpupilleと脚韻を合すために「Fille」にしたのでしょう。
第2曲のアリアで、またも出ましたDio d'amor=キューピッド。それからFilleの「黒い瞳の魅力」もお定まりです。

いつも思うのですが、「黒い瞳」はそんなに魅力があるのでしょうか。
北欧などではいわゆる碧眼のひとが多いようで、黒い眼は少なくて魅力的かもしれませんが、イタリアだと黒い眼の女性はめずらしくはないと思われますのに、どうしてなのでしょう。
17から18世紀ごろの詩では、美女を表現するのに「黒い瞳」はかかせないレトリックだったのかもしれません。
絵画の世界でも美人の肖像画は黒い眼が多いようです。
例えば、ドイツの画家 Albrecht DÜRER(1471−1528)の「Portrait of a Young Venetian Woman」。
画像


キューピッドに関しては、少し古いのですが、こんな新聞記事がありました。
朝日新聞(東京)1月19日(土)の朝刊経済面で、マレーシア関係の記事として「キューピー人形は『反イスラム』」という見出しが付いていたものです。(下の画像。クリックすると大きくなります。)
画像

内容は、キューピー社がマヨネーズを販売しているマレーシアで、「商標の絵がイカン」と当局から文句がついた、というものです。
キューピーのデザインで、背に羽のあるのが「反イスラム」ということらしい。マレーシアはイスラム教が国教なので、キリスト教の天使はダメ、ということなのです。
だがここで声を大にして言いたいのは、キューピーは断じて天使ではない、の一言ですね。
そもそもキューピーとはキューピッドの愛称です。キューピッドはギリシャ神話の登場キャラクターで、まあ神様のひとりにちがいないですが、現代ではギリシャ神話は宗教ではありませんし、崇拝する人もいません。反イスラムなどではなく、イスラム教からもキリスト教からもユダヤ教からも等距離の中立的なものです。
キリスト教の天使(エンジェル)とは全くの別物。

宗教画で、背中から羽の生えた裸の赤ん坊を「天の御使い」として描いていることが多いので、天使とはそういうものだ、と思われがちです。しかしこれは天使の形を絵に表現する際、ギリシャ神話で述べられているキューピッドの姿をパクッたのですね。
この新聞記事を見たら、キューピッドにしても「ボクは神そのもので、使いパシリではないよ」と機嫌悪くするでしょう。

イスラムのひとはわかってないので無理言うのはしょうがないとしても、キューピー社では以上のようなことを説明して理解してもらわなければならないのに、「確かに天使だが・・・」などと寝言を言っているのは何たることか。自社ブランドの由来をまったく承知してないらしい。それも末端の社員が言うのならともかく、社の中枢である広報担当者のセリフとは。
キューピー社の株は「売り」かもしれませんよ。



参考にしたCD

ジュリアン・ベアード(ソプラノ)、ジョン・ドーネンバーグ(ヴィオラ・ダ・ガンバ)、マルコム・プラウド(チェンバロ)
「G.F.HANDEL Italian Solo Cantatas and Instrumental Works」Meridian CDE84189(1990)

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
たぶん「黒い瞳=魅力的」っていうのは、実際にそう思われていたかどうかというより、一種の「記号的お約束」だったんでしょうね。
日本で「金髪」とくれば「美女」と続くようなもので。
(実際は金髪のブスだっているわけですがw)
「様式」にこだわる音楽には歌詞にもそれがあるので、アルカディア的カンタータの世界では、「黒い瞳は魅力的」がお約束なのでしょう。
薄い色の瞳よりは、目の存在感?がはっきりしているので、それが異性にとっては見つめられるとドキドキもの…な面はあると思いますが。
後半のキューピーですが、確かに日本でもキューピーと天使はイメージが被っているところがありますね。
よく西洋の絵に描かれている翼のある子どもが、キューピッドなのかか天使なのかって、記憶だけだと曖昧なものがたくさんあるような…。
REIKO
URL
2013/02/17 16:00
REIKOさん
そう言われてみると、日本でも美人をあらわすのに外見の一部で代表させることもよくありますね。
「(緑なす)黒髪」、「うりざね顔」、「明眸皓歯」等々。
こういう条件は満たしていても、必ずしも美人でないことは普通にありますが、このような言葉が出てくるとそれは「美人ですよ」と言外に示しているのでしょう。イタリアでも日本でも同じようなことを考えるものですね。

この記事を書いた後にわかったのですが、キューピーは「Kewpie」と綴るのだそうです。そうであっても、キューピッドを意識してデザインしたことはまちがいありません。
天使の姿ですが、聖書には具体的な姿、形の描写はあるのでしょうか。わたしは聖書を隅から隅までつぶさに読んだわけではありませんが、「裸の赤ん坊で背中に羽が生えている・・・」といった説明はないと思います。やはり宗教画家が自分でイメージして自作の絵にそういう姿を描いたのではないでしょうか。
koh da saitama
2013/02/18 14:43

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